声をかけるだけが優しさではない

言葉をたくさん投げかけてない?

去年、ツイートして多数の方に共感していただきました。 多くの人が同じような悩みをもっているのだなぁと感じました。

そして、こうも思った。

これって、もしかしたら幼少期からの「自己主張すること」の経験だけ育ち「自分だったらこうされたい」といったことを考える経験が少ないからそうなるのかなぁ、と。


自己主張することはとても大切だ。なぜなら言わなければ自分のしたいことは伝わらない。

しかしどうだ。自分の思いをおしつけるだけで、コミュニケーションは成り立っているだろうか。

乳幼児の際に泣き叫び、自分の安全欲求を満たすことは乳幼児自体の行動がある程度限られるため養育者はそれを即座に理解し満たすことができる。

しかしある程度成長すると、行動は複雑化し、子どもたちは自らの意思で欲求を満たすことを学んでいく。

その中で、他者の思いを理解する機会をどれだけ持ち、持たせているだろうか。

「自分だったらこうされたい」を知る経験を

「こんな時、どんな気持ちになるかな?」

そんな問いかけからでよい。次に、その時に「あの子もそう感じているかもしれないね」と伝えればよい。

そうすることで、他者の理解につながる。

自分の気持ちと相手の気持ちは必ずしも一致しない。だから、そのすり合わせの経験を若いうちにしていくことが大切ではないだろうか。

エネルギーが枯渇している時には多くの声掛けはマイナス

エネルギーが満たされていない状態は、特に自分の欲求が限定化されている状態です。

「~をしたい」ということがあったとしても、それを上手に言語化できず、また外部からの欲求への救助すらも「ストレス」として感じやすくなっています。

だからこそ、それらを受け止めるエネルギーを回復するために、「いつでも安心していいんだよ」という姿勢を持つことが大切です。

ここでは子どもにこうしてみてもよい、と書いていますが、下部に書いている通り、これは支援者にも言えることだと思っています。

私はSSTを作るにあたって、子どもに求めるだけでなく、支援者自身がどれだけ理解し実践できているかを考えて作成することを第一としています。

子ども社会において、友達との関係は大人と違いすぐに切り離せないものだからこそ、(大人なら会社をやめたら離れることもできます)関係のわだかまりを少しずつ紐解いていくこと。

支援者も意見を押し付けず、相手の安心できる環境を整えること。

良い声掛け、叱り方、余白・・・たくさんのやりかたがありますが、それにとらわれない支援も、ふとした瞬間に思い出してもらえたら幸いです〇。

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こご

こご

児童福祉施設職員 子どもの心理養育について日々発信しています。クマノミ生活は1年以上。